Chicago Blog

国内唯一の無可動実銃と古式銃の専門店。
スタッフの日記や元フランス外人部隊兵の声、新入荷の情報などの各種おしらせ、在庫状況など、リアルタイムにお知らせします。

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2017.08.16 Wednesday

三八式と軍縮

皆さんこんばんは、先日TVの終戦特番で解説者さんが「人間爆弾桜花の戦果は0!」と言ってるのを聞いて、イヤイヤ駆逐艦1隻沈めてるし!他にも何隻かに損傷与えてるし!と一人空しく突っ込んだナベでございます。 そりゃまあ物量を誇る米軍にしたら桜花による損害は限り無く0に近かったんでしょうけど・・・。

 

で今回もひつこく三八式歩兵銃でございます。 それにしても初期型安全子のローレット加工が実に美しい。

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で、今回の三八式の焦点は〜。

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菊の御紋章と三八式との間に謎の文字!フ?ウ?ではなく、どうやら文と書いてあるようです。

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本来ならこう?こんな感じで赤い線が入るものと思われます(打刻忘れ?)。 おそらく軍から文部省へこの三八式を移管した際に「文」の文字が打刻されたものと思われます。

 

その、軍⇒文部省への三八式の移動は何故起きたのか?ということですがその原因を作ったのがこの方、WW1大戦後の大正時代に世界的な流れにより軍縮を推し進め4個師団を廃止した宇垣一成陸軍大臣です。 この宇垣軍縮により多くの陸軍将校のポストが消滅してしまい就職先をなんとかしなければならなくなりました(そのため宇垣さん陸軍から恨まれ後々組閣を阻まれる等々いろいろな嫌がらせを受けることとなります・・・)。

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そこで目に付けたのが各学校の軍事教練の指導者としての派遣でした。 それら派遣された現役の将校は「配属将校」と呼ばれ中等学校以上に派遣されました(よくドラマや映画で理不尽な理由で学生を殴る石頭な軍人さんとして出てきますね)。 また多くの師団が廃止されたことにより軍人と同じく三八式歩兵銃も余剰在庫になったため配属将校たちと一緒に各種学校へ転勤となりました(因みに軍事教練や配属将校への予算は陸軍ではなく文部省が出したそうです)。

 

そして三八式は配属将校が指導する射撃教練に使用され、また学生による射撃競技大会でも使用されました(大学では射撃部なども作られたそうです)。 しかし太平洋戦争が始まると大量増員された兵員に配備する銃器が不足したため、学校で余生を送っていた「文」刻印入りの三八式にも再招集がかかりフィリピンなどの戦場へ送られることとなりました。(大岡昇平氏の「俘虜記」にも「文」刻印入りの三八式の記載があった気が・・・)。

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学生さんの教練に専念したのか?あるいは最後のご奉公をしたのか?「三八式歩兵銃」はこちら

 

 

本日のワンポイント情報!!

買取りで、35M 小銃 が東京店に入荷致しました。

 

お客様ご連絡中ですがキャンセル待ちもお受けしておりますので、お気軽にお問い合わせください。弊社でも、過去に殆ど入荷していない希少品となっております。

HPとDetailed Photos(詳細画像) にアップしておりますので、ぜひご覧ください。

 

35M 小銃 (23万円、税別)


2017.08.13 Sunday

大阪店へようこそ三八式歩兵銃殿

皆様こんばんは、先日の「なんでも鑑定団」を見ていて、戦時中の代用品として陶製ボタンや陶製アイロンなんかがあるのは知っていましたが、陶製栓抜きや陶製蓄音機の針まであったには驚いたナベです(折れない?)。

 

本日はこちら久々に大阪店にやってきました「三八式歩兵銃」です(・・・この時期に三八式って何かを感じるな・・・)。

 

上から○が打刻されていますが菊の御紋章はしっかりと確認できます。 この御紋章、元を辿ると1877年の西南戦争の際に新政府軍の町人や農民の徴集兵たちが西郷軍の恐怖のチェスト攻撃を受けた際、パニックになって持っているスナイドル銃などを放り出して逃走するケースが多々発生、困った軍がその後に皇室の紋章である菊の御紋章を銃に打って「ほら御紋章がある大事な銃なんだから捨てたりせず、しっかり管理してね、頼むよ!ホントに!」と注意喚起の印が元になったようです。

 

その後、日清日露WW1で勝ちはしたものの貧乏な陸軍の近代化は進まず、将兵の気合と根性に頼らざるを得ない(これならお金がかからない!)状況となります。 そのため歩兵装備の根幹である三八式歩兵銃はただの武器や装備の枠を飛び越えある意味、軍の精神的な支柱となっていきます。

 

そんな大切な歩兵銃ですので、日中戦争中ある日本軍部隊が山間部を進軍中に鉄砲水に襲われ、兵士たちが命からがら這い上がると殆どの兵士が三八式を持ってない!あわてた部隊長が小銃を失くすとは何事だ!探してこい!となり兵士たちは激流の中へ探しに戻り結果、死者行方不明者多数・・・という理不尽な事件も発生したそうです・・・。 写真は三八式を担いで疲れた表情で行軍中の日本兵。

 

しかしそんなケースとは真逆のケースもあったようで、奇跡の作戦とも言われる1943年の「キスカ島撤退作戦」では5200名の日本軍部隊が無傷で撤退。 その際に身軽さと迅速さを求められたため装備していた大事な三八式歩兵銃をなんと海に投棄して撤退に成功しました。 (下はアメリカ軍が日本軍の士気低下を狙ってばら撒いた伝単・・・「何がお気の毒様じゃ〜!」とかえって敵愾心煽りそう)

 

でこちらが独断で三八式を海にドボンを独断で許可(あとで大問題になったそうです)した樋口季一郎中将。 樋口中将はエピソードの多い方で満州時代にはヨーロッパから逃れてきた数千人のユダヤ人難民を助けたり(あとで大問題になったそうです)、終戦後のドサクサに攻め込んできたソ連軍への対応に迷う占守島の部隊に対し「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と作戦を指揮してソ連軍に対して痛撃を与えたりしました(そのためソ連の恨みを買い戦犯指定されてしまいましたがユダヤ人たちのロビー活動によりソ連に引き渡されずにすみました・・・人には親切にするものですね)。

 

それにしても撤退して乗船する際にやっぱり長くて嵩張る小銃は邪魔だったようで、キスカ島以外のガタルカナル島撤退時にも餓死寸前の陸軍兵士が必死に持ってきた三八式(若しくは九九式)と一緒に海軍の駆逐艦に乗ろうとしたら・・・

乗船を手伝ってくれる海軍水兵「はいはい小銃は邪魔」ポーイ〜ドボン

飢えや病でよろよろ陸軍兵「嗚呼!三八式〜折角頑張って持ってきたのに〜」

という場面もあったそうです。 まあ人命第一ですから仕方ないですね。

 

物は大切に、でも程ほどに・・・「三八式歩兵銃」はこちら

 

一緒に置くと映えますね「日本陸軍 下士官兵用戦闘帽(略帽)」はこちら

 

本日のワンポイント情報!!

大阪店在庫品で、スオミ M31 短機関銃 (前期型)  の新たな個体をHPとD/P(詳細画像) に本日アップいたしました。ぜひHPをご覧ください。 

スオミ M31 短機関銃 (前期型)(15万円、税別)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017.08.08 Tuesday

ファシスト暦とカルカノライフル

皆様こんばんは、社長が台風とやって来て台風と共に去って行く〜吹き飛ばされそう〜ナベです〜(8/7現在、文面社長了承済)

 

先日、常連様とカルカノについて話していた際に「そういえばナベさんのブログで、XXはローマ数字で20、ロットか月日?て書いてましたけどあれはイタリアのファシスト暦ですよ〜(その際のブログはこちら)」とのこと「ふぁしすと暦」?(それにしてもフューラーやドゥーチェと比べると近衛首相じゃ弱いな・・・)

 

早速、在庫品を確認確認「カルカノ M1938 短小銃」を見てみますと

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1941 XIX(ファシスト暦19年)とあり1941から19を引きますと1922となります。 東京店在庫の M1938 短小銃にも1940 XVIII(ファシスト暦18年)とあり、やっぱり1922。

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大阪店在庫のカルカノ M1891/38 騎兵銃もチェックチェック

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こちらには942 XX(ファシスト暦20年)とあり942から20を引きますと922となります(なんで1942から1を省いたのか?)。

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1922?調べてみますと1922年イタリア王国においてベニート・ムッソリーニが黒シャツ隊を率い、政権奪取のクーデター「ローマ進軍」を成功させた年だそうです(これに影響を受けてヒットラーがミュンヘン一揆を起こします、成功してたら「ミュンヘン進軍」?)。

 

恐らくムッソリーニが政権を奪取した1922年以降(1924 II、1930 VIIIがあるか不明ですが)に1940 XVIIIのような刻印が打刻されるようになったと思われます。 ですので写真の若かりしドゥーチェがベルサリエリ兵としてWW1に参戦した際に担いでいたカルカノM1891歩兵銃にはそのような刻印はありませんでした(在庫品確認済み) 。

 

それにしても頭領、自分がローマ進軍して政権を奪取した1922年がよほど愛着があったのでしょうか?(若しくはメーカーが忖度した?)

しかしファシスト暦をバーンと打たず西暦から引く方式に若干の遠慮と奥ゆかしさを感じる気も・・・(教会に気を使った?)。 写真は栄光のローマ進軍から23年後、黄昏の1945年・・・ベレッタM1938A短機関銃(大阪在庫のM1938にも1942 XXの刻印アリ)やベレッタM1938/42短機関銃、M1891/38 騎兵銃を構えたアルピーニ旅団を閲兵する何か諦観の面持ちのムッソリーニ。

 

夏草や兵どもが夢の跡・・・ファシスト暦が刻印が刻まれたファシズム政権下で生産されたカルカノたちでした。

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ところで「ファシスト暦」の文言は「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」にも記載があり当時としては一般的だったようです・・・となると、もしWW2で枢軸国が勝った場合、今ファシスト暦95年?

 

カルカノ M1891/38 騎兵銃はこちら

 

カルカノ M1938 短小銃はこちら

 

本日のワンポイント情報!!

大阪店在庫品で、Vz.61 スコーピオン 短機関銃  の新たな個体をHPとD/P(詳細画像) に本日アップする予定です。ぜひHPをご覧ください。 

 

Vz.61 スコーピオン 短機関銃(7万円、税別)


2017.08.04 Friday

弓鋸崖を見てきました。

皆様こんばんは暑っついですね。 しろくまアイスが食べたいナベです。

 

先日遅ればせながら映画「ハクソー・リッジ」を見てきました。 良心的(兵役?)拒否者を主人公に1945年の沖縄、前田高地での戦いを題材にした戦争映画です。 錯綜した地形で米軍は戦車等の重火器を投入出来ないため殺ル気満々の日本兵とガチンコの白兵戦を演じました(必要以上に迫力がありました・・・)。 日本軍の火器はお馴染み三八式歩兵銃、いい仕事してた九九式軽機関銃、トーチカごと吹っ飛ばされる九二式重機関銃、主人公のメットに2回もヒットさせる九七式?狙撃銃、爆発率100%の九七式手榴弾など

 

その「ハクソー・リッジ」で鍵となるのがM1ガーランドです。

主人公「宗教上の理由でガーランドは触れないけど皆と一緒に従軍したい!」

上官「は!?戦うために志願したんだよね?なんでガーランド持たんの?」

みたいなやり取りがあり、その後主人公はいろいろあって初志を貫徹、周囲にも認められガーランドを一回も触る事無く衛生兵として戦地へ赴きます(日本軍ならさぞかし微笑ましい事態に陥ったでしょう)。 訓練ぐらいならガーランド持ってもいいじゃんという気がしますが・・・。

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さてその激戦地、沖縄の前田高地で活躍した火炎放射器・・・・は以前在庫があったものの今は在庫なし!しかし同じく劇中で大活躍したBAR(BARの射手が片手で軽々と扱っているのが不思議でした・・・火事場の馬鹿力?)は大阪店には在庫は無いものの東京店に1挺在庫がございます。 両店在庫のM1カービンも登場してましたが個人的にそれほど印象に残らず。

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装弾数が不思議だったM3グリースガンは現在在庫無しですが、同じく日本兵のチャージを効果的にストップさせていたトンプソンM1A1短機関銃は在庫アリです。 日本軍もこんな短機関銃を大量配備してたらな・・・。

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その映画見てて所々?な所があったのですが個人的に気になったのが映画の終盤、主人公たちの所属する米第77歩兵師団の猛攻によりハクソー・リッジ(前田高地)も遂に陥落、敗北を悟った日本の牛島満中将が自決するシーン。 実際は高地の陥落が5月9日で中将の自決が6月23日・・・いくらなんでも諦めるの早くない?(名前が出たわけでもないので丸っきり他人の可能性もあるのですが)

写真はその牛島将軍、非常に温厚な人物で陣地構築では学生や住民と一緒に汗を流し戦闘中は感状作成や鰹節削りに専念、作戦は参謀たちに丸投げ・・・ではなく一任して責任は全部自分が負うというスタイルだったそうです。

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で沖縄での作戦を実際仕切ったのが下のお二人、参謀長長勇少将(左)と高級参謀八原博通大佐(右)。 しかしこの二人性格も作戦方針も全く違い(参謀長はイケイケドンドン突撃決戦主義、高級参謀は地味に陣地に篭って長期持久作戦主義)作戦は混乱した上、大本営も沖縄決戦(海軍)か本土決戦(陸軍)かで迷って一貫した方針を指導出来ませんでした。 因みに1971年の映画「沖縄決戦」では牛島中将を小林桂樹さん、長勇少将を丹波哲郎さん、八原大佐を仲代達矢さんが演じられていました。

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しかしながら上層部の混乱にも関わらず現場の日本兵たちは劇中と同じく大奮戦、兵力5倍(日116,000人VS米548,000人)のアメリカ軍に死傷者86,000の損害を与えました(しかし日本側も巻き込まれた県民も合わせ20万近くの方が戦没)。 写真は6月18日に九六式十五糎榴弾砲の砲撃を受けて戦死しされたアメリカ上陸部隊司令官バックナー中将。

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バックナー中将、ショルダー・ホルスターを掛けて大阪店にも在庫がある左の「WW M1911ピストル用 M1918 マガジン・パウチ」も付けてるなと思ったら蓋の形が違う・・・どうやら東京店にある右の古いタイプの「M1911ピストル用 マガジン・パウチ(M1912?)」を付けてらっしゃるようです、ひょっとしてWW1の時から愛用していたのでしょうか?結構こだわりがある方だったのかもしれませんね。

 

それにしても戦争はイヤですねラブ&ピースがいいです!・・・しかし反対に三八式や九九式や九二式並べてアメリカさんをギャフンと言わせたいな・・・(オイオイ)

 

劇中でガーランドをカービンって言ってた気が「M1 ガーランド ライフル 」はこちら

 

ちょっと影が薄かった「M1 カービン」はこちら

 

日本兵こっちくるな〜「トンプソン短機関銃」はこちら

 

東京店に1挺あり「BAR M1918A2 ブローニング オートマチック ライフル」はこちら

 

そういえば出てました「ブローニング 30口径 M1919A4 重機関銃」はこちら

 

吶喊〜!恐怖の「三八式歩兵銃」はこちら

 

バックナー中将も愛用?「米軍WW M1911ピストル用 マガジン・パウチ (1919年 MILLS製)」はこちら

 

 

本日のワンポイント情報!!

大阪店在庫品の ロシア AKM 自動小銃 のHPとD/P(詳細画像) を本日新たにアップいたしました。ぜひHPをご覧ください。 

 

ロシア AKM 自動小銃 (12万円、税別)


2017.07.27 Thursday

M31短機関銃後期型と継続戦争

皆様こんばんは、先日暑い中大阪店のエアコンが不調となったので急ぎ修理して貰って「気持ちいい〜」と冷風を浴びたらプチ夏風邪をひいた貧弱ナベでございます。

 

本日は前の「M31短機関銃前期型と冬戦争」に続きましてこちら「M31短機関銃後期型と継続戦争」でございます。 もう少し後でいいや〜とお気楽に構えていたら、思いの外ヒット商品でナント大阪店在庫最後1挺の後期型となってしまいました・・・早くブログにしないと。 しかしこの短機関銃マズル部分が伸びただけでえらい雰囲気が替わりますね。

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以前ご紹介したスオミ短機関銃前期型を装備したフィンランド軍の大活躍により、1939年11月〜1940年3月の冬戦争でフィンランドはソ連の猛攻を何とかしのぎ切りカレリヤなどを割譲したものの独立を守りました。 しかし1941年6月に「あれ?ちっこいフィンランドにあれだけ苦戦するなんてソ連なんてデカイだけで見かけ倒しじゃん!冬になるまでに倒せるじゃん!対英戦飽きたじゃん!」と思った?ドイツが「ヒットラー信用できるし!ドイツマブダチだし!東京のゾルゲがドイツが攻めてくるなんて寝言ってるけどありえないし!」と思い込んでるソ連に攻め込み独ソ戦が開始。 大国に挟まれ選択の余地の無いフィンランドは枢軸側として強制自動参加とあいなりました。 写真はドイツから供与されたメッサーシュミットMe109Gを枕に昼寝するフィンランド兵

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バルバロッサ作戦が開始されるとドイツは破竹の勢いで広ーいソ連領内に侵攻、フィンランドもこれに呼応し対ソ戦を開始、冬戦争時にソ連に盗られたカレリヤなどの旧領を回復しました。 絶好調のドイツに一緒に目の前のレニングラード攻めようぜ!と持ちかけられるものの「これ以上行くとなんかいろいろヤバイ」と敏感に察したフィンランド賢明にも戦線を広げず、回復した旧領の位置でストップしました。 そしてドイツの進撃を横目に見ながら塹壕を掘り早々に防御体勢へ移行しました(彼我の力量を考えず、いけいけドンドンで戦線を無計画に広げまくって敗北した極東の某国とエライ違いだ・・・)。 写真はフィンランドのトンネル陣地、左の兵士が持ってるスオミ後期型にご注目。

 

しかし興味深いのはこの時期に前期型より凝った形状の長いマズルのスオミ後期型(上)を生産しつつ、ロシアのPPS43短機関銃を参考にした簡素なスオミM44短機関銃(下)も生産を開始していることです。 もしドイツが勝ち続けるようだったら凝った造りのスオミ後期型メインでソ連が盛り返してヤバくなったらスオミM44も大量生産しよう・・・と考えていたのでしょうか?

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戦争が始まって物資が無い!早よ作れ!数も作れ!となったら普通は下の図みたいに、マズルは簡略化!木部は無し!金属オンリー!プレスで大量生産!・・・と段々簡略化が進むのがパターンなのですが、そうでないのがまた興味深いですね。(※上は後期型、真ん中は前期型、下はM44)

 

しかしフィンランドが凝った造りの後期型、簡素なM44どっち作っろかな〜と言ってる(←想像です)前に同盟国のドイツはスターリングラードやクルスクで敗北、1944年1月にはレニングラードの包囲も打ち破られ敗北の色が急速に濃くなってきました。 そして1944年6月、英米軍のノルマンディー上陸作戦に合わせ、まず邪魔な北部のフィンランドに対するソ連軍の大攻勢(ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢)が始まりました。 緊張した面持ちでスオミ後期型を手に塹壕に潜むフィンランド兵たち。

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冬戦争時の数が多いだけのソ連軍と異なり(しかも今回は雪の無い6月!)、過酷な4年間の対独戦で鍛え上げられ戦闘力が思いっきり向上したソ連軍は総兵力45万(芬軍当初7万、援軍で27万)、戦車800輌(芬軍110輌)、航空機1600機(芬軍248機)で攻撃、防衛線は破られフィンランド第二の都市ヴィープリも陥落してしまいました。 遂にフィンランドもここまでか?と思われましたがドイツ軍の加勢やフィンランド将兵の粘り強い戦いによりイロマンツィ、タリ=イハンタラ、ヴオサルミなどで勝利し、さしものソ連軍の大攻勢もストップしてしまいました。 チェコ軍のヘルメットを被ってスオミ前期を構えるフィンランド兵。

 

そしてその期を逃さずマンネルヘイム元帥やリュティ首相を首班とするフィンランド政府はソ連政府(バグラチオン作戦やドイツ本土への戦いもあるしあんまりフィンランドばかりに構っていられない)と休戦協定を締結、その後ラップランド戦争等があったもののフィンランドは占領を免れ、なんとか独立を維持しました。 結局WW2時に枢軸国で連合国に首都を占領されずに独立を保つことが出来たのはフィンランドだけでした・・・写真はフィンランドの銀輪部隊を閲兵するマンネルヘイム元帥とリュティ首相

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大戦時、国を代表する兵器と言えば独はタイガー戦車、英はスピットファイアー戦闘機、露はT-34戦車、日は戦艦大和、米はリバティシップですが(?)国の危機を2度も救ったこのスオミの名を冠した短機関銃はフィンランドを代表する兵器といえるのではないでしょうか。  

因みに1944年フィンランドがソ連の軍門に下った際、日本のフィンランド駐在公使は国外退去となり表向きは日本と国交は断絶しましたが、裏ではアメリカの換字表やソ連の暗号解読書多数を送ってくれたり、引き続きフィンランド秘密諜報部が日本の駐在武官へ対ソ情報を提供してくれたそうです(日本の指導部がそれらを有効活用したかは不明・・・)。

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一般にスオミといったら「天然温泉」でしょうがナベ的には断然短機関銃「スオミ M31 短機関銃 (後期型)」はこちら

 

本日のワンポイント情報!!

買取りで、M1 ガーランド ライフル が東京店に入荷致しました。

価格が決まっており、すぐにご紹介可能な商品となっています。

HPとDetailed Photos(詳細画像) にアップしておりますので ぜひご覧ください。

 

M1 ガーランド ライフル (29万円、税別)


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