Chicago Blog

国内唯一の無可動実銃と古式銃の専門店。
スタッフの日記や元フランス外人部隊兵の声、新入荷の情報などの各種おしらせ、在庫状況など、リアルタイムにお知らせします。

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2012.05.05 Saturday

カメロン祭(記念日) Part 2

まいど! シカゴ社長です!!

やって来ました「地中海の小島! コルシカ島!!」(← 昨年末コルシカ島を一周して判りました。 コルシカ島は小島ではありません、デッカイ島です!) 

「何をしに来たか?」って?! 
「もー! そりゃ昨年のリベンジですよ!!」 (←詳しくは2011年4月27日の涙のブログを見てやって下さい)。
昨年の今頃、折角ヨーロッパに来ていながら、フランス外人部隊唯一の基地開放日「カメロン祭!」に行けなかったのですよ、残念!!!!!

今回は息子の任期もあと一年を切ってしまい、これが最後のカメロン祭(息子が外人部隊に在隊している間と言う意味で)。
絶対に逃せないので、忙しいスケジュールを調整してやって来ました。
コルシカ島滞在時間、たったの28時間。

昨年11月には日本人の古参上級伍長様の特別の計らいで基地内に入れてもらったのですが、それは「例外中の例外!!」写真を撮影するなんて滅相もない。 
やっと人の見ていないところで数枚撮ったのが精一杯でした。

それが今回のカメロン祭は「誰でも行ける基地の開放日」、自衛隊や米軍と同じですね、写真は撮り放題です。

20120504_2522470[1].jpg



「カメロン記念日」と言うくらい、お祭りよりも儀式がメインです。 
カメロンの戦いの話(詳しくは上記の昨年のブログを見てね!)や、この一年の功労者や退役者に対する叙勲がしめやかに行われました。
米軍や自衛隊にはこのような儀式はないと思います。 
「いや〜! 外人部隊フェチのシカゴ社長」にとって大感激でした。
噂で聞いていた「軍歌を歌いながらの行進」や「連隊旗手の入場」の写真を撮れた事は夢の様です。

儀式が終わった後は米軍や自衛隊と同じように外人部隊による地域住民や家族の為に色んなアトラクションがありました。 

落下傘降下もその一つ、目の前に4,000mから自由降下部隊隊員(通常の空挺兵は300m、こちらの方が怖い)が降りてきます。



装甲車にも乗れたようですが、シカゴ社長はタイミングが悪く…。
一応、空挺部隊のマークを付けた装甲車とのツーショット。

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折角の催し物は雨で盛り上がりが今一つ。 
外人部隊が色んな屋台を出していました。
↓これはダーツ屋。



食事は食券を買います。
食券売り場に行って「(食券は)いくら?」と私がフランス語で聞くと、反対に向こうが「いくら?」って聞き返してくる。
「あ〜ぁ、食券は寄付で賄っているんだぁ!」と思い、そこでもう一度「(寄付は)いくら?」って聞くと、「10ユーロ、20ユーロ、50ユーロ」って言ってくる???? 
「息子が現役隊員なので、10ユーロなんてケチなことも言えないし、かと言って50ユーロも寄付はしたくないし」と悩んでいると…。
向こうから「何人?」って聞いてきました。
「二人!」って答えたら、「一人5ユーロやから、二人で10ユーロがエエでしょ」って言ってくるんよね。
「なんや寄付にも相場があるんやったら始めから、金額言ってくれればエエのに…」って、何でも想像で結論を出すのはシカゴ社長の悪い癖。

結局は「食券は人数とその人たちの食べる量」に合わせて買うので、食べたい量だけの金額の食券を買うだけの事でした。 
「なんや、寄付やなかったんや…、無理して50ユーロ分も食券を買わんでも良かった!! 良かった!!」と安心したシカゴ社長でした。



その夜は第二空挺にいる十数人の日本人隊員の半数が集まってくれて一緒に酒を交わしました。 
勤務に付いている隊員、職務でフランス本土や別の場所にいる隊員を除いて、これだけの人数の日本人隊員の皆様に集まって頂き嬉しい限りです。


20120504_2522441[1].jpg

今年のカメロン祭は4月30日夕方6時から儀式が始まって夜中までお祭り、そして翌日の5月1日は一日中お祭りと嬉しい日が二日も続きました。
空港へ帰る際に正門まで送りにきてくれた隊員の方々、本当に色んな場所を見せて頂きありがとうございました。


20120504_2522440[1].jpg

妄想の多いシカゴ社長、その妄想の一つに「コルシカ島に日本人隊員達の保養所を作る事」があります。
元々コルシカ島、それも基地があるカルビの街は観光地であり別荘地域でもあります。 
海の見える小高い丘の上にコルシカ独特の一軒家を買取って、日本人隊員がくつろげる家を作りたいですね。

「漫画喫茶」のように本、漫画、雑誌、DVDやマッサージチェア、炬燵、そして日本食まで揃えて…。
「週末や島内休暇、カルビ内休暇の際に使ってもらったり」、「日本から隊員の家族が来た時に滞在できるスペースがあったらいいな」と考えています。

「シカゴ社長! お・や・バ・カ!!」と思われますが、息子とは関係ありません。
息子が除隊した後でも、親交を続けたいと思えるような「ナイスガイ達」です。
最近の草食系男子とは全く違う「将来の夢をしっかりと持った根性ある男達の集まり」です、第二空挺は。

もう少し現実的に考えると、東京の「The シカゴビル」がもう少し大きければ「フランス外人部隊 BAR」なんかを作れるのに…。
大阪の新しいビルは大きいので可能やけど、やっぱり日本人隊員の多くは関東出身者。
休暇で東京に集まるし、習志野(習志野空挺団の方との交流もあるようです。 どちらも空挺部隊やし、元習志野空挺出身の方もおられますし)も千葉県にあるので、やっぱ東京やね。

「シカゴ社長、しなアカン事ぎょーさんあるやん!!」

そうでんな!

今日のワンポイント情報!
本日、M1ガーランド(旧加工)と、MG42(新加工)が買取りで入荷しました。
価格調整中ですが、HPにアップ致しましたので、ぜひご覧下さいませ!

2011.04.27 Wednesday

カメロン祭(記念日) Part 1

まいど! また英国へ舞い戻ったシカゴ社長です!

ヨーロッパからの新入荷があったので10日間の日本滞在は少し短かったよーな、バタバタしました。

日本を発つ直前、息子から「カメロンに来るの?」って電話があって、「エエッーーーー!!!!」って驚いたのも後の祭り。

今週の土曜日の430日は年一回の外人部隊の基地開放日、カメロン祭の日です。
もちろんカルビの第二空挺の基地"Camp Raffalli"も解放されます。

「忘れてたぁ〜!!!

今まで三回(三年)もそのチャンスはありましたが、その度に息子は(フランスからの)海外勤務かフランス本国での訓練の為にカルビの基地には不在。

「行くのだったら息子が居る時に」と思ってパスしていたのが、反対に今年は彼が初めてカメロン祭(記念日)にいる事を忘れてたーーー!

カメロン祭は、1863年4月30日にメキシコに派遣されていた第2外人連隊第3中隊が全滅した事を追悼する記念日の事です。 150年ほど前の出来ごとです。

外人部隊フェチの方には常識的なお話ですが、一般の人からすると「なんやねん、それ?!」って事なんで、

「シカゴ親父の外人部隊ウンチク〜!!!!

「カメロンの戦い」とは1862年、ナポレオン3世の命によりフランス軍がメキシコに侵攻して始まった「メキシコ出兵」中に実際に起こったフランス外人部隊史の中でも最も勇敢な戦闘です。

フランス軍の「莫大な現ナマを積んだ」大輸送部隊を護衛するために派遣された第二外人連隊の第3中隊が、まさにその輸送隊を襲撃しようとしたメキシコ軍騎兵隊を自分たちに引き寄せるために攻撃した事がその戦いの発端となりました。

しかし、圧倒的な兵力を誇るメキシコ軍に対して第3中隊の兵士達は臨時の防御陣地を築き、その中から応戦するしかありませんでした。 その場所がカメロン(カマロンとも言われます)と言う地名であったので、その名が記念日に付けられました。 62名の外人部隊兵に対して約2,000人のメキシコ軍の攻撃…。 勝敗は火を見るよりも明らかでした。  兵力的に圧倒的優位に立つメキシコ軍は何度も投降を促しましたが、それに対し、隊長のダンジュー大尉は「「我々にはまだ弾がある。 降伏はしない」と拒否しました。

11時間近い戦いの末、2,000人のメキシコ軍を食い止め、約600名(負傷者を含む)に及ぶ敵を倒しました。 それにより輸送部隊は無事に目的地に到着し、彼らは大きな代償を払いつつも任務を達成しました。

その代償とは義手を付けた隻腕の指揮官ダンジュー大尉を含む三名の士官と中隊の9割にあたる49名の外国生まれのレジョネア(下士卒)が命を落とす結果となりました。 捕虜となった数名も全てが意識不明の重傷者だったと言われています。     そのようにして外人部隊の数ある戦歴の中でも最も勇敢であったカメロンの戦いが幕を閉じました。 

確かにインドシナ戦争中も、外人部隊は「仲間を見捨てずに母国ではなくレジオン(外人部隊)の為に全滅になるまで戦う」という偉業を成し遂げました。 しかし敵側が外人部隊の勇敢さを称賛し、「名誉ある投降を呼びかけたのにも拘わらず最後まで戦った事」が約150年以上経った今でも語り継がれていく結果となり、その後の負け戦の多いフランス軍の中で「外人部隊が最精鋭部隊」と呼ばれる所以になりました。 1960年インドシナのディエン・ビエン・フーにおける壮絶な戦いも「その外人部隊の伝統」に則ったものでしょう。

1931430日に最初の公式追悼祭が行われ、その時から「カメロン記念日」と呼ばれるようになり、毎年4月30日に祝われるようになりました。

現在はノエル(クリスマス)と並び、外人部隊では記念日であり「お祭り」として受け継がれています。 フランス本土の基地はもとより、海外の駐屯地でも一般人が訪れる事のできる「唯一の基地解放日」となっています。

カメロン記念日には「オ-バニュにある第一外人連隊」で盛大な式典が行われ、連隊博物館内の礼拝堂に納められている「ダンジュー大尉の義手」は外人部隊の神聖なシンボルとしてセレモニーでお披露目がされます。 この義手は礼拝堂の戦死名簿と共にカメロンの戦いだけでなく、歴代の戦死した外人部隊兵の慰霊の証とされています。


南仏のオーバニュにある第一外人連隊の正門です。 カステルでの4ヶ月間の訓練の後、晴れてレジョネアとなった新兵がこの中にある礼拝所を訪れ、「これからの5年間、母国の事は忘れて、フランスの為と言うより外人部隊の為に命をかける決意」をする場です。

私がこの「外人部隊の義手」の話を知ったのは、多分息子と同じ年頃でしょう。 その時は「外人部隊」と「自分のおかれている世界」とは全く異なった話のように思えた記憶があります。 ヨーロッパでの永住権が欲しかった私には、「外人部隊」への入隊が一つのチョイスだったかも知れません。 そこに息子が入隊するとは…。 一度は訪れたいと思っていたこの博物館、「息子の入隊と言う思いがけない事件」によって来る事になるとはね。  第一外人連隊博物館内の礼拝堂を訪れて「刻まれたレジョネアの名前」を見た時に身震いをする思いを感じました。 「家族の歴史」って判らないものです、ホンマに…。


さてさて、その430日と言えば私が英国からオランダ(アムステルダム)に入ってドイツで業者と会って、最終的にベルギーのイベントまで行く日。 どう考えても、地中海にあるコルシカ島のカルビには行けません。

このルートを練った時に最終目的地のベルギーへ行くのにはアムステルダム経由とパリ経由の二つの選択肢がありました。 「アムステルダム経由だとドイツの業者の所にも行けるし、最終的にはドイツから帰国するので、ドイツ、ベルギー、そしてまたドイツとレンタカーで廻って、朝の3時から車の中で仮眠を取りつつ、会場が開くのを待てばイイや」って事でアムステルダム経由にしたのですが…。 


息子のお下がりの外人部隊のリュック(迷彩色の三色旗にFRANCEの文字がオシャレ)に外人部隊官給品の寝袋を持って到着した英国のヒースロー空港、これがあれば世界のどこでも「野宿」は可能です。 まっ、今回は車の中で寝るのですけどね…。
世の中便利になったもので画像にあるパソコンでこのブログを書いて、写真も撮って…。 パソコンに差しているオレンジのディバイスが英国のインターネット端末。 携帯より電波のキャッチ力が悪いですが、インターネットに接続できるだけでもありがたい事です。 このブログ用の写真一枚アップするのに3分ぼとかかるので、その間にトイレに行って…。 そんな事したら一瞬にしてリュックとPCは消えてしまいますが。

パリ経由であれば地中海と言えども同じフランス国内なので、23時間しかカルビにはおれないですが日帰りも可能、う〜ん考えてしまう。

息子に「もう少し早く電話をくれればイイのに!」って文句を言ったら、「教えたら絶対に来るでしょ!!」って可愛くない返事。

「親父が勝手に来るのは仕方がない(止められない)」が自分からは誘いたくなかったのですね、クソ!

まぁ、出張中はこんな事はしょっちゅうです。

スケジュールを決めた直後に、「業者から〇〇があるけど見に来ない?」って…。 「一時間前にそのメール寄こせよ!!!

折角予約したチケットをキャンセルして(キャンセル料を取られるだけならまだマシ、殆どはボツです)、また新たに取り直しです。  そんな時にいつも「もう少し高いチケットで変更可」ってのにしておけばよかったと反省するのですが…。

「もう少し」って言っても変更可のチケットは倍の金額がするので、今のように気軽にあっち、こっちへ行けません。

まぁ、「シカゴの小売価格が少々高くなってもいいから、社長もっと気楽な正規運賃で出張に行きな!」って言ってくれるお客様はおられないでしょうか????

結局23時間の為に10万円近い追加出費は断念せざるを得ません。 「イャー! それでも行きたかったですねぇ〜!」、51日のベルギーのイベントがなければ絶対に「カメロン祭」行ってた事でしょう。

 

 

2011.04.22 Friday

フランス外人部隊、東北関東大震災に救援か?

まいど! 月日が経つのを楽しみにしているシカゴ社長です!!

「おまえ! その歳になったらイヤでも月日が早く経つワ!  ボケ!!」って言われそうですが・・・。

昨日の4月21日、息子がフランス外人部隊に入隊して丸三年。

そう、三年前の2008年4月21日に正式入隊となったらしい…。
らしい…、と言うのも変な話ですが、パリの徴兵事務所「通称ノ・ジャン」の門を叩いたのは、4月17日だったハズ。
詳しくは聞いていませんが、5年の契約が始まるのは「門を叩いた日」ではなく何かしらの審査?があって書類にサインをした日ではないでしょうか?
そんな数日間の違いなんて問題ではありません。
「4年目に突入したら、後は一年と〇〇日」と今までと比べモノにならないくらい早く時が経つでしょう。

「息子に跡を継がせて、早くリタイアしたいなぁ〜」って思うシカゴ社長です。

2008年の4月14日に息子が日本を発って一路パリへ、そしてその三日後に

「今から(徴兵事務所へ)行く、入隊したら三ヶ月ほどは連絡はできない」

と短い電話がありました。

正直「本当にあいつ外人部隊の門を叩けるほどの根性があるのか?」って思っていたので、その電話があってから安心をしました。
「パリに行ったけれど、恐くて外人部隊には行けず、されど日本にも帰れず、パリのラーメン屋でアルバイトなんて事もあり得る」と心配していました。
世の中の父親の殆どは「息子が実戦の可能性がある軍隊に入る」と聞いて安心はしないでしょう。

私も人の子、息子が戦地へ行くと考えれば心配です。
しかし、それ以上に男が一度「フランス外人部隊に入隊する」って大見栄を切ったからには、「落伍してもいいから、一度は足を踏み入れろ!」って思っていました。

まぁ、そんな親の心配をよそに「希望した空挺部隊に入り、楽しくレジオン(外人部隊)生活を送っている」ようでした。


息子の嫌いな一枚、 まだ入隊してすぐの頃の訓練中。 迷彩がヘタクソで「スイカみたいやから嫌いや」との事、そう言われると余計に載せたくなる悪い親。

そこに先日、連絡が全くなかったのが突然母親に「日本に帰るから」っと言っただけで電話を切る始末。

誰でもそんな電話を受け取ると「ナンカの理由でケツまくって、日本に(脱走して)帰国するのではないか」って思ってしまいますよね。

その時私はドイツにいたので、今度は私に電話してきて「5年の契約を延長させるから」って、全く反対の事を言ってきました。
あいつは相当ケチのようで自分(フランス)から日本へ電話する時は電話代が勿体無いので「一言二言、用件の単語だけを言って」さっさと電話を切ってしまいます。
私がヨーロッパだったので「電話代もそれほどかからない」と思ったのか、もう少し単語が多く「今回の日本の大震災で、日本国籍のモノには一時帰国(一ヶ月間くらい?)の意思を聞かれた。 その代償として半年間の契約延期にサインをする」ような…。

すみません、親子ながら意思の疎通が上手く出来ていなくて、多分そう言う意味だったと思います。
24時間フランス語を話しているので、日本語の説明力が非常に低い。
おまけに電話を早く切ろうとするから「時たま何を言っているのか、全く理解が出来ません」。
ハイチ大地震だったかな、「大地震があった国籍の兵士が一時帰国を許可された」と言う話を聞きました。

その話を聞いて「フランス外人部隊もまんざらやないなぁ」って感心したんやけどね。
こちらから電話しても、メールを送ってもいつも通り一向に返事がない、くそ!
「そう言う事ならもっと詳しく説明しろ!」って怒っても仕方がありませんが…。


そうそう、その時に電話で「伍長になったのか?」って聞くと「ああ」だって。
伍長への昇進訓練(試験)は基地のあるコルシカ島のカルビではなくて、フランス本国のカステルノダリ(第四連隊)で行われます。

私としては、もう一度カステルに行ってみたかったので、息子が「伍長昇進訓練」の為にカステルに行った時に無理やり訪ねてみようと計画していたのに…。
よっぽど父親が来るのがイヤだったのか前以てカステルに行く事を教えてくれなかった訳です。

「そりゃ、そうやろね、新兵訓練でカステルに行った時に父親が基地の中に入って来たんやから…」、普通やったら絶対にありえへん事だそうです。


カステルの第四連隊の裏の運河の写真。 ものすご〜くフランス的な光景です。 外人部隊に入隊した人なら絶対に思い出深い風景でしょうね。 


この写真も三年前のもの、高速を下りてカステル最初のロータリーには「第四連隊のモニュメント」が・・・。 次は「伍長昇進訓練」の時に「また絶対に来てやろう」って思ったのに…。

カステルだけやなくて、カルビの基地(内の博物館だけやけど)に入ったし、アフリカにまで来た親父が今度はカステルで何をしでかすか判らないので心配な息子の気持ちも理解出来ますが…。

本日のワンポイント情報!
買取で「極初期の旧加工の良いとこ取りをしたようなMP44」が入荷しました。 「価格調整中」になっていますがHPにアップされています。


2009.11.19 Thursday

外人部隊の言い訳

まいど! 社長です!!

 

今日からヨーロッパ出張です。 何か戦果を上げれるよう頑張って行って参りマス!

 

今回の出張で外人部隊に入っている息子とフランスで会える可能性もあったのですが、息子の休暇が始まる日と私がヨーロッパ大陸にいる時期が微妙にズレてしまったので、ちょっと無理でした。

 

笑いをとってナンボの大阪人、あえて外人部隊がらみのボケネタをひとつ。 

 

先日息子から電話があって

 

「今日、出所したよ!と息子。 

「刑務所どうだった?」と親父。

「快適やったわ!」と息子。

「話のネタにはエエなぁ、うらやましぃ!!」と親父。

 

こんな電話での会話を聞いたら「なんちゅう、親子や?!」って思われそうです。 

実際「なんちゅう親子」ですが・・・。

 

ことの始まりは息子がニューカレドニアに派遣された時に「外人部隊の身分証明書」を誤って軍服と一緒に洗濯してしまったことです。

ニューカレドニアではフランス正規軍の基地に駐屯していたので、特にこの身分証明書は必要なかったそうです。 

コルシカ島の外人部隊では基地の出入りには必ず必要なのに大きな違いです。

ニューカレドニアからフランスに帰国する際はフランスのパスポートを使用したのでこの身分証明書は必要なかったので無事フランスまで帰って来られました。

 

それからすぐに再発行の手続きをする予定だったのが、演習につぐ演習で全く事務手続きなんてする余裕は無し。

身分証明書が必要な週末の休暇も返上するほど忙しい毎日だったそうです。

 

そうこうする間に第二空挺がパリ北部へ演習に行くことになり、そこで問題が起こりました。

演習が終わって中隊の全員がパリのCDG空港から基地のあるコルシカ島へ出発しようとした時に息子一人が飛行機に乗れなかったのです。 

行きは身分証明書も関係ない軍用機だったのですが、帰りは民間機で一人ずつチェック・インをしなければならなかった・・・。

軍隊が演習の帰り道にこんなことするかなぁ?!」

 

今ヨーロッパで飛行機に搭乗する時は必ず身分証明書の提示を求められます。

息子も焦ったと思いますよ、何しろ自分一人だけ身分証明書がないのですから・・・。 

そこで身分証明書をだいぶ前に失くしたことが発覚して、一人CDG空港に取り残されるハメになりました。

分隊長はカンカンに怒って「こんな奴、ほっておけ!」って感じ(実際は叩き上げの軍曹殿、このシチュエーションでの対処方法が全く判らなかったようでサジを投げてしまったようです。)になってしまいました。

 

捨てる神あれば拾う神あり」って訳で別の分隊の軍曹が

演習で使った軍用トラックは陸路とフェリーを使ってコルシカ島まで帰るのでそれに便乗しろ」って帰隊方法を教えてくれました。

そこでベルギー国境近くにある某所へ軍用トラックのコンボイと合流する為にFA-MASを除く装備一式(当然野戦服のまま)を持ってCDG空港から一旦パリ市内へ。 
パリはテロに備えてそこら中で軍隊が警備しており、息子の格好を見てかなり怪しんだようです。 
不思議なことにフランス正規軍は外人部隊兵には何にも言わない、なんでしょうかねぇ〜
? 外人部隊が警備していたら絶対に何か言われたと思います。

余談ですが、前々回CDG空港へ着いた時の空港警備は外人部隊でした。


空港からパリ市内を通って合流地点までその格好(一ヶ月の演習で使用した重装備付)のままでの移動は普通ではありえない体験だったそうです。

本人的には軍用トラックを列車に乗せて運ぶ作業は良い経験になったそうです。

 
ようやく遅れてコルシカ島に帰ったら、またフランス本土で演習があったり、コルシカ島での訓練などで三ヶ月が経ったようです。

そんなことで「身分証明書滅失&飛行機搭乗拒否問題」はウヤムヤになったのかなぁと安心したところに「一週間の営倉入りを命ず!」ってことで刑務所(イエイエ営倉です)に入っていました。 

どんなことが営倉であったかは息子本人がいずれブログで書くと思いますが、外人部隊は面白ネタが沢山あって羨ましいかぎりです。

 

と言うことでホンマ休みなしに演習が続いており、ブログを更新出来ないとの「言い訳」を息子がしていましたので皆様にお伝えてしておきます。

もうすぐ三週間の休暇がありますが「長期休暇」とは聞こえが良いけど、土日の休みまで返上したので「三週間でも足りないくらいや!」って息子が吠えていました。 

 

「そやね、外人部隊ってそんな甘いモンやあらへんね」(親父談)

 

何か今回のネタに関係する外人部隊での画像をと思ったのですが、最近のものがないので前回の休暇の時に息子からもらったお土産の写真を。 「外人部隊の徽章セット!!!」左上から時計回りにフランス外人部隊、第一外人連隊、第四外人連隊、第二外人歩兵連隊、第二外人工兵連隊、マヨット分遣隊、第二外人空挺連隊、第13外人準旅団、第一外人騎兵連隊、第三外人歩兵連隊、第一外人工兵連隊。 現在の外人部隊の連隊徽章が全て揃ったコレクターズ・アイテムです。


2009.10.09 Friday

フランス軍空挺バッヂ

まいど!  社長です!!

今回は「親バカ」って言われることを承知でブログを書いています。

外人部隊に行っている息子にお土産を貰いました。

ちょうど一年前に第二空挺に配属されて授与されたフランス軍の空挺バッヂと空挺資格認定証。
これは外人部隊だけのものではなく、フランス正規軍と同じものです。
 
そう言えばベレー帽付けるバッヂも第二空挺だけは他の外人部隊のものとは違うフランス正規軍と同じ空挺部隊のバッヂです。

息子が入隊してから外人部隊フェチになった訳ですが、別にコレクターではないので外人部隊関連の品は集めてはいないのですが・・・。

これだけは違いますね。 認定証のシリアルとバッヂのシリアルがマッチしたコレクターズ・アイテム(私だけにでしょうが・・・)です。

早速、銀座イトーヤに行って額に入れてもらいました。
OD色の羽根の生えた女神(これはM1ヘルメットを被った落下傘兵)にマッチするようにOD色のアクセントを入れました。


一番上にRepublique Francaise (フランス共和国)、そしてBrevet Militaire de Parachutiste (軍パラシュート認定書)と書いてあります。
ただちょっと残念なのは名前が本名ではなく「レジオネール偽名」と呼ばれる外人部隊内での偽名がその認定証に明記されています。


宮崎家の渡り廊下の一部は外人部隊コーナーになってしまっています。


左から第4外人連隊で訓練を受けていた時の階級章や記章類を納めた額、そして今回の空挺バッヂ、第二空挺第一中隊の額入り部隊章、カステルノダリ卒業写真です。

本日のワン・ポイント情報!!
一週間前のブログ(10月01日)に書いたハッコーOEM生産のSFシリーズ・スコープ、毎日沢山のご注文を頂き誠にありがとうございます。 
お陰さまでSF-1056AO(5本)、SF-4146AO(11本)、SF-6206AO(5本)、SF-6205AS(1本)のみで在庫は完売です。 本当にありがとうごさいました!!
SF-6440はまだ在庫がございます。(←でもこれが最もお値打ちなので、お早めに!)


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