Chicago Blog

国内唯一の無可動実銃と古式銃の専門店。
スタッフの日記や元フランス外人部隊兵の声、新入荷の情報などの各種おしらせ、在庫状況など、リアルタイムにお知らせします。

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2009.07.10 Friday

Part 21 「アラスカとハワイへの買い付け」

 コレクターのみなさんの中にも、何かに一つのことに情熱を燃やされる方って多いですよね。 
私の性格もその極端な例で、何かを始めると極めたくなるタチです。
 
 買付けに行った州が全米で40州を越えた頃に全州制覇を意識し始めました。 でも広いアメリカの50州全てへ行くのは結構難しかったですね。 本土以外にも州があるし、観光やないから儲けを出さなアカンから「行きたいから」って理由だけでは行くことがてきまへん。
特にアラスカなんて大きな市は二つしかないのに、本土からめっちゃ距離もあるから経費だけは掛かるので誰も買付けに行ったことがありませんでした。 
しかし一旦やると決めたからにはそこは大阪商人「どこでも行きまっせ!」

 たぶんアラスカが唯一赤字になった買い付けだと思います。 
アラスカの平均年収は非常に高く、そして退役退役軍人が少ない(僻地手当て目当てのバリバリ働いている人が多い)ので一つの品に$1,000ってオファーしても、全然売る気なし。 
日本軍が占領していたキスカ島やアッツ島はアラスカに近いので「何か今までと違う珍しい品があるのでは」って信じていましたが、残念・・・夢に終わりました。
でもアラスカで買い付けした唯一の業者が日本人の私達だったので、その事を考えると「まっエエか」です。

 そして次の難関がハワイ。 日本からは近くてもシカゴからは「もう完全に外国」です。 
ハワイの州法で州外の人間がその場で銃を買うことも出来ないので、儲けは半減です。
ご存知のようにハワイは日系人が最も多く、大戦中も「442部隊」としてヨーロッパ戦線へ従軍した兵士は沢山いたのですが・・・。 
彼らは米国市民であっても考え方は日本人。 他のアメリカ人みたいに「戦利品を沢山持って帰る」習慣はなかったようで、せいぜい勲章1個とか、まったくカワイイものです。

 唯一珍しい品を持っていたのは白人の退役軍人で奥さんが日系人。 ドイツの騎士十字章を売りに来たのですが「何かがオカシイ」。 
そこでドイツの勲章に詳しいスティーブンに電話をしたらチェック・ポイントをいくつも教えてくれました。 その内の一つがクリアしないので「99%ニセモノ」と判断したのですが、その奥さんが、旦那さんの軍歴を詳しく説明してくれて「こうこうだから、絶対に間違いありません」って言うのを信じてしまいました。 
普通は「オカシイ」って思えば絶対に本物の価格で仕入れはしないのですが、奥さんが日系人だったので本物の相場の1/2で買ったら「やられました」。


ドイツの騎士十字章。 リングの位置が微妙(0.5mmほど)に違ったので「ニセモノ」でした。  

 買い付けが終わってスティーブンに見せたら「チェックするポイントを教えたやろ!」って言われました。 
そうなんやねぇ頭では理解していたんやけど、つい人情が・・・。 やっぱり心を鬼にして仕入れなあきまへん。 
今まで恐ろしいオファーが出来たのも相手が白人やったからだと、その時思いました。 もしこれが日本での買付けで「日本人のおばぁさん」に「主人の形見で」って言われたらきついオファは出来ないと思います。

 今のシカゴの無可動実銃の買取りはそんな鬼みたいなことは言いませんのでご安心下さい。 骨董屋の常套句やないけど「誠心誠意」の買取りを致します。

2009.06.26 Friday

Part 20 「ホールド・アップ」

  お待たせしました、いよいよ襲われた時の話です。
新聞に「
戦争の記念品買いたし!」って広告を出してアメリカ西海岸の某所にあるホテルのミーティング・ルームで買付けをしていた時のことです。 お客さんがホテルへ品物を売りに来た時に、事件が起こりました。
その日は広告の反響もよく朝から大勢の人が品を持って来られ、一時は順番待ちの行列が出来たほどでした。 
T
氏は他のお客さんの順番を部屋の外で整理しており、部屋では私一人になっていました。


 いつものように普通に椅子をすすめて、「さあ何を売りに来たのかな?」って楽しみに品物を出してくれるのを待っていたら・・・。 

そしたらおもむろにスーパーの紙袋に入れたルガー(拳銃)を私に向けるやね。 
多くの人が同じように品物を紙袋に入れてくるんで、銃を袋から取り出すとこまではいつもと同じやったのに。 
拳銃を向けられたのはこれで二回目やったけど、今度は状況がまったく違うやん。 ハッキリ言って「撃たれる可能性」が脳裏をよぎりましたよ。

「エッ、エ〜 何すんの!! 冗談やろ!!」って感じ。
 

でっ「金よこせ!!」って今にも死にそうな声で言うんよ。 

「エッ、エ〜! マジ〜?!」今日はせっかく多くのお客さんが来ているのに「ここで強盗騒ぎになったら全て中止にしなあかへんやん」。
 

銃で撃たれる事よりも商売のことが先に頭に浮かんだ宮崎青年もう少しで享保29歳になるとこやった・・・。 


実際80歳はゆうに超えている足元もおぼつかない老人が銃で人を脅して逃げ切れるわけないやん。 万が一撃ったとしても、部屋の外には大勢の人が待っているのに。 

 

そこで宮崎青年一世一代の大勝負にでました。 
自分の頭の中では映画で刑事が犯人を説得させるような渋いシーンが回っているんやけど、英語でクールな(と言うか渋い)台詞が浮かべへん。 

そこで幼稚園の子供に物事を教えるように、それもめちゃ簡単な言葉とゼスチャーを加えて「OKOK、ちょっと待って下さい」「あなたには三つしかチョイスがない」

 屬△覆申討廼爾后廣「私お金渡す」→「これ強盗となる」→「外に大勢人がいる」→「あなた逃げられない」→「警察に捕まる」

◆屬△覆浸箏發帖廣「外に大勢の人がいる」→「あなた逃げられない」→「警察に捕まる」→「大犯罪」

「私あなたの銃買う」→「$300の銃、だけど特別$1,000」→「これ正式な取引」→「私何もしない」→「あなた逃げる必要ない」

昔の西部劇でインディアンが片言の英語で話すのと同じ「白人嘘つき、インディアン嘘つかない」って感じのたどたどしさです。 
ものすごく言葉を選びましたよ。 コミニュケーションの問題で撃たれたらたまったもんやないからね!

 

そしてすぐに「あなたにとって´↓のどれが一番得か?」「もちろん  間違いない」「取引や、特別$1,000払う」「ええディールや」って言うと、おじいさんしばらく考えてその銃をテーブルの上に置いてくれたんやね。 

 

一番怖かったのは、途中でT氏が戻って来てじいさんがとんでもない行動を起こすことやったけど・・・・助かったわ。 

じいさん$1,000を受け取ってヨタヨタと部屋を出て行ったんで、銃の中を調べると実弾は入ってへんかった・・・。 やっぱりと思ったけど。 

じいさん始めから脅すつもりは無かったと思うねん。 部屋には私しか居なかったんで「つい魔が差したん」やね。
 

 ほとんど入れ替わりにT氏が「おっさん何やってんねん!! (T氏、私より14歳年上なのに「おっさん」って私の事呼ぶんやね)」って言いながら帰ってきたんやけど、私はT氏には本当のことを言われへんかった。

もし言ったら絶対に「おっさんが銃買うからアカンのじゃ〜!!!!!!」「もし事件になったら外の客が帰ってまうやんけ! ボケッ!!」って言うに決まってるからね。

 

それからは二人だけでは買付けをせずに、買付け先の町の非番の警察官を雇ってガードマンになってもらうようになったんです。 

日本では考えられへんけど8時間で$200位払えばパトカーに乗って制服着た(当然銃を持ってる)非番の警官が部屋にいてくれんやからおかしな国やなぁ。 
でも警官の前で$10$30でライフル買うのは難しかったわ。 まるで詐欺師やもんなぁ。

T氏と二人だけやったら、安く良い品を手に入れたときは「諸手上げて喜べたのに・・・」。 警察官がいた時はホンマ顔色一つ変えず書類手続きをして終わりやったね。

2009.06.21 Sunday

Part 20 スーベニア・ハンター

アメリカ人ってホンマ「スーベニア・ハンター」やね。 戦争映画でもよく戦闘そっちのけで戦利品(スーベニア)を捜しているシーンがありますよね。
アメリカ兵が進駐軍として終戦後日本に来て母国へ戦利品
として持って帰るベスト1はやはり日本刀、その次は南部拳銃、そしてライフル。 もともとそれらの品は武器やから終戦時に武装解除されて山と積まれていたんやね。 そやから物凄い量が米国に持って帰られました。 

 

前回も書きましたが、買付けをしていたらホンマ沢山の銃を売りに来られました。 
今みたいに日本へ無可動実銃として送られへんかったので、仕入れた品は米国で売らなアカンかったのですよ。 今から考えたら勿体ないことでした。 
九九式で
$100、三八式で$150、二式で$400位が私の売値、ほんまに安かったなぁ。 
そやから買値は九九式で
$10、三八式で$20、二式で$100位で買わな採算が取れませんでした。 すごく安いようですがアメリカ人の仕入れ値ってこんなもんですよ。 
当然半分の人は怒って帰ったけど、残りの人はその金額でも売ってくれたんやね。 

 

買取ったライフルの量が多くなったら、そんな安い金額でも断ったこともありましたよ。 
シカゴから遠い場所で買付けする時は飛行機で行くんやけど、ライフル用のダンボール
1個に5丁いれるんやね。 それらをシカゴまで手荷物(もちろん機外預け)で持って帰るやけど、自分の中で8箱(=40)がマックスって決めていたんよ。 

これ以上やったらチェック・インの時に自分一人では運ばれへんかったし、レンタカーにも乗らんかったからね。 
無事にチェック・インが終わっても、シカゴの空港でベルト・コンベアから預けたダンボールが全部出てくるまではいつも心配で気が休まりません。 

想像して欲しいんやけど、銃が詰まったダンボールが次々とスーツ・ケースと一緒に出てくる光景を・・・。 万が一、紛失でもしたら手続きが大変やからね、何せ撃てる銃やから…。

 ライフルを買いすぎたある買付けの最終日に、四四式、二式、九九式狙撃銃の未使用品
3丁を持って来た人がいたんやけど、その人が「$500欲しい」って言ったのを断ったこと今でも憶えているわ。 
もう帰る準備(梱包)も終えて全く入れるスペースがなかったからね…。 
今やったら
150万円位になる品やったのになぁ。 


 でも拳銃は小さいからシカゴに持って帰る手間もなかったんで頑張って買いました。 流石に「ニセモノ」はなかったけど、日本で売られへんから100%アメリカのマーケットでの勝負です。 
今までは「日本のマーケット」というアメリカ人にはないメリットがあったんで比較的楽にビジネスが出来たけど銃のビジネスだけはアメリカ人と対等やもんね。 
特にドイツの拳銃を日本人が扱っていたらアメリカ人は癪に障るんやろね。 結構嫌がらせや圧力をかけられました。
まあ、こんな経験が後に無可動実銃のビジネスを始める時に大いに役立ちましたが、当時はシビアな戦いをしていました。



ドイツとイタリアの大戦中の拳銃です。 P-08はバリエーションが多くて査定が難しかったです。
 

パートナーのT氏は私が銃を買うのをあまり快く思っていなかったんですね。 
そりゃ私が日本のライフルに
$10$30しかオファーせえへんので、彼までが「せこい業者」と思われたくなかったんやね。 
そやから刀とライフルをお客さんが売りに来た時は、先に
T氏が刀の交渉をしてから、私がライフルの交渉をしました。 

でも多くの場合T氏が刀にいい値段を支払ってくれるんで、私としては「残り物」ってかんじのライフルは買いやすかったけどね。

昨今の仕入れの難しさを考えれば夢のような世界でした。


2009.06.17 Wednesday

Part 19 「リベンジがガン・ディーラーへ」 

骨董屋さんなどが「蔵出し」や「初荷(うぶに)」の買い付けをしていると意外にも失敗することが多いそうですね。 安く仕入れているので失敗はないように思いますが・・・。 日本の骨董業界でも「蔵出し品は目を狂わせる」と言います。 今回は前の失敗談の続きです。

 私が逃した「武装SSのワッペン」を買った○○は、そのワッペンを売った金を元手にカンザス州のビバリーヒルズと呼ばれた地域にハーフミリオン・ダラーの豪邸を建てたんやね。 
そしてご丁寧に私に見せ付けてくれました。
実際「けったくそ悪い」から行きたなかったんやけど「珍しい日本の短剣があるんで、家まで来たら売ってやる」って言われたんでノコノコ行ってしまいました。
まぁ、立派な家でした。 カンザス州で「ハーフミリオン」って言うたらホンマ豪邸ですね。 
ワッペンを売ったお金だけで建てたとは思わへんけど、私の闘争心をかき立てるには十分やったね。 あの失敗がなかったらこんな立派な家が買えたんやぁ〜! くっそ〜!!

 もうそれからは馬車馬のように働いて。 
そうやね、自分の限界が100としたら150位はやったと思います。 
そんで何でも買えるようにホンマ一生懸命勉強しまくりました。 
元々鉄砲屋になる気は無かったんやけど、そんな甘いことは言っておられません。

「槍でも鉄砲でも持ってきやがれ!」って感じで開き直っていたら、本当に沢山の鉄砲を売りに来られました。 

まぁ、その努力も実り二年後には○○と同じ地域に家を建てる事ができましたが・・・。


10年前にアメリカに来た時は一文無しに近い状態だったのが、
三年間の稼ぎでこんな家を建てることができるなんて
やっぱアメリカン・ドリームが果たせる国やと思いました。
アメリカで仕入れた無可動実銃は全てこの家から発送されたんですよ。

 
 一見スパニッシュ・コロニアル風の建物ですが、防空壕(天井を含め全ての面が分厚いコンクリートで、ドアも銀行で使っているような特殊なものでした)のような地下室を作って武器庫にしていました。 
建設業者からは「カンザス名物のトルネード(竜巻)が来てもこの地下室だけは残るよ」って言われた「マフィアの隠れ家」顔負けの要塞でした。 
自慢話になってしまいますが、材料の選定からデザインまで全て自分でしました。 アメリカって面白い国で、素人の施主のアイデアをどんどん取り入れてくれるのには驚きました。 
日本に帰ってから建てた時は建築士さんや大工さんが「構造上うんぬん」と言って中々思い通りにはなりませんでした。 「言葉が通じる国で思い通りにならないなんて、何でやねん!!」って思いましたよ、ホンマ。 
でもそこはアメリカと日本の文化の違いやね。 
ゼロ戦の性能を上げるのに削れるとこは極限まで削る日本流と、耐久性を求めて30口径のように無骨なメッチャ重い銃を作ってしまうアメリカ流・・・。
家でも同じです。 アメリカの場合は「そこを重たくするんやったら、鉄骨倍にしよか」とか「コンクリート倍ね、OK!」って感じです。 でもすっごくお金もかかってしもたけど・・・。
 
 アラーム・システムも最新のもので異常があれば警備会社ではなく警察直行だったのは凄かったです。 
何回か警察官がパトカーに乗って、拳銃を抜いて我が家に来たことがありました。 自宅が映画のワンシーンのようになって、部屋の一つ一つを銃を構えて調べてくれるんやね。 流石に足でドアを蹴って開けはしなかったけど・・・。
でも地下に武器庫があるのを知らなかったポリスはメッチャ驚いていました。
パトカーが何台も来るのですよ! 全ての入り口から一斉に入って、日本では考えられない光景でしたね。 
それも一年に二回までは警察の出動はタダで、それ以降が有料っておかしな世界でした。(←アラームの誤操作の場合だけね。 実際の事件だったら無料でしょ、当然)

 家に沢山お金を使ったおかげで数年後にはきっちり国税局が入ってエラい目にあいましたが・・・。 今やから言えるけど友人の会計士には「マサ、家を手放さなアカンかもしれへんで〜」って脅かされました。
ホンマ米国の税務署は怖いでっせ。 
障害者の車椅子でも、財産のない人の歯ブラシまでも取る(←ホンマかいな?)って言われてるくらいやから。 
でもこの件は追徴金を支払って解決済ですよ!! 
巷では「これが理由で米国へ入国できない」ってトンデモナイ話が流れていますが、こんな問題やったら「金払ったらそれで終わりやん!!」
そんなセコイことでアメリカへ行かへんのとちゃいまっせ!!

 ビルがリタイアしてからは私も「クラス
1」のガン・ディーラー・ライセンスを取ったので、これで正式に「ガン・ディーラー(鉄砲屋)」となったんやけど・・・。
外国人が「ガン・ディーラー」になるってことは色んな問題が出てくるんやね。 その話はまた機会があれば話します。

 


2009.06.09 Tuesday

Part 18 「何でも買取団の大失敗」

 シカゴ・ブログを始めて100日が過ぎました。 一日一回の更新を目標に頑張ったお陰でしょうか、毎日多くの方に来ていただけるようになりました。 
ありがとうございます。 「ホンマおおき!」にです。

 「なんで無可動実銃屋になったんやろ?!」シリーズが長くなってしまったので、新しく独立したカテゴリーにしました。 
まだ無可動とは別の話の世界ですが、この時代があってこそ今の無可動のビジネスを続けられていると思います。 
この時代は快進撃を続けていたので、これといった失敗談も少なく「失敗を笑いのネタ」にする関西人にとっては本当に面白くない日々?でした。 もうそろそろ皆さんもお腹一杯一杯の状態と思いますので、今回からちょびちょびと失敗談をお話します。 ではこれからも宜しくお願いします!!


 前回もお話したように新聞広告を出して買付けをしていると本当に色んな品を売りに持って来られます。
最初の頃は売値の見当が付く品や本物と思う品しか買わへんかったけど、段々と欲が出てきて何でも買うようになるんやね。 ギャンブルと同じですね。

専門外の品でも買うから、当然価値を知らない品や真贋が判らない品もあるんやね。 日本人やと思て「ニセモノ」をよく持って来る奴がいたよなぁ。


 そこでパートナーと「きまり」を作りました。 

例えば私では判断がつかないドイツの短剣をお客さんが持って来たら「短剣担当のジョー」に電話して形などを説明するねん。 

今みたいにデジカメやインターネットがないから、電話でのアナログ説明やね。 

でも言葉の問題や精巧な複製品の場合は確実に情報や詳細が伝わらへんのよ。 

そしたらジョーが「その短剣が手に入ったら$1,000で買う」って約束(保障)てくれるんやね。 それで私は$1,000で彼に売っても儲けが出る金額で買うわけ、例えば$500とかでね。 
そして仕入れが終わったら、
それを約束どおりに$1,000でジョーに売るんよ、それが$5,000の価値がある短剣でも。 

反対にそれが偽物でもジョーはその金額を払ってくれるんやね。 

このようにしたら難しい品が来ても結構買えるねん。

でもお客さんの前でジョーに電話で値段聞かれへんかったから、部屋抜け出して公衆電話からジョーに電話して・・・。 

あの頃は携帯なかったから、大変やったわ。 

電話してもジョーがいなければ、トイレに隠してある専門書やプライス・ブックを見て何喰わない顔してオファーするんやね。 

お客さんの前で本調べてたら「素人丸出し」やから、あくまでも専門家の振りをしなあかんので大変やで。

 

ドイツ海軍の短剣。 左2本は第二次大戦中の品で卸値が$1,000、右の第一次大戦時のプレゼンテーション・モデルは$5,000とよく似ていても価格が全く違います。 

 この買い付けで一番の失敗は一人の兄ちゃんがゴミ袋に一杯入った「武装SSのワッペン」を持ってきた時やね。 なんでか今でも判らへんねんけど、初めからニセモノと思って買わへんかってん。 兄ちゃんが「いくらでもエエから買って」って言うんで、一枚$1で一種類につき一枚ずつ買ってん、30枚くらい買ったかなぁ。 

ほんで買い付けが終わってジョーに見せたら一枚$75も出してくれたんよ。 この時のショックって今でも忘れられへんわ。 一枚$1やから75倍やね。 あのゴミ袋の中には最低23,000枚は入ってたと思う・・・。 そんなにあったら$75では買ってはくれへんかったと思うけど、少なく見積もって2,000枚、ほんで一枚$50としても$100,000(一千万円以上)・・・。 
私は何も言われへんかったけど、と言うか何も聞かれたくなかったんやけど「マサお前・・・、もしかしてニセモノと思ってたん
?」ってジョーに聞かれて。 返事もしてないのに「もっとあったんやな、何枚あったんや?」。 暫らく沈黙したあと泣きそうな声で「23,000枚・・・。」 
彼は爆笑してたけど、私もプライドがあったんで「このこと誰にも言うなよ、言ったらパートナー契約解消や
!」ってジョーに釘をさしましたよ、モ・チ・ロ・ン。 

立ち直りかけた数ヶ月後、ガンショーである話題で持ち切りになったんやね。 「○○が武装SSのワッペンを5,000枚見つけて家買いよった!」「そのワッペンをマサがニセモノやって断ったんで、タダ同然で仕入れたそうや!」「マサのアホー!!!」こんな他人の不幸は人は喜ぶんやね。 
その後
12年は同業者に会うたびにこの話を挨拶代わりにされて、長い間忘れられへんかったわ。



これらはその時の「武装SSのワッペン」とは違いますが、別の買付けで買ったスーツ・ケース一杯に詰まった「ドイツ軍のワッペン類」。 判る人が見ればワンセット(2枚一組)が10万円以上の品も含まれています。 


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