王冠への忠誠 マルティニ・アクション(前編)
こんばんはアルバイトSです。
19世紀後半、数多くの植民地を手に入れ世界の工場となっていたイギリスですが、その植民地支配の絶頂期に登場したのがマルティニ・ヘンリーでした。
その後第一次世界大戦が始まる頃には主力小銃の座を退いているこの銃ですが、そこに至るまでには大変興味深い過程がありますので前後編でご紹介したいと思います。
そもそものきっかけは1862年のアメリカで、南北戦争の最中にヘンリー・ピーボディによってピーボディ・アクションの特許が取得されます。
トリガー・ガードを兼ねたレバーを操作すると、ブリーチ・ブロックが上下するのはマルティニ・ヘンリーに似ていますが、ピーボディは外装式のハンマーを備えており、このハンマーはレバー・アクションとは別にコッキングしなければなりませんでした。 しかしながら、当時としては堅牢で高い安全性を持ったアクションとして評価されます。
結局このピーボディ・アクションは、銃として完成したのが1866年。 南北戦争には間に合いませんでしたが、同じくアメリカのプロビデンス・ツール・カンパニー社によって製品化され、カナダやスイスなどに売り込まれます。
(在庫品のスイス ピーボディ M1867/77 歩兵銃 (無可動古式銃、#9936)です。特徴的な外装式ハンマーが付いていますね。 ハンマーと連動していないのでレバー・アクションは軽く、少ないトルクで良いためレバーは全長が短くなっています。)
スイス軍にとっては次期採用の小銃までの"つなぎ”でしたが、スイスに渡ったことが契機となり、スイス人のフレデリック・フォン・マルティニによってピーボディ・アクションが改良されます。
これこそがマルティニ・ヘンリーの基礎となるマルティニ・アクションで、外装式のハンマーがブリーチ・ブロック内部のストライカーに置き換えられ、レバー・アクションと連動してコッキングされるようになりました。 これにより、発射までのプロセスが一段階省かれ、より素早く連射する事ができました。
そして当時主力小銃であったスナイドル銃よりも、より操作性の高い銃を求めていたイギリスがマルティニ・アクションに目をつけます。また一方で、スコットランド人のアレクサンダー・ヘンリーが新しいライフリングを考案していました。
このヘンリー・ライフリングとマルティニ・アクションを組み合わせることで、マルティニ・ヘンリー銃が誕生します。
(ヘンリー・ライフリングは角ばった7条のライフリングでした。)
1870年に設計され、1871年に最初のモデルとなるマルティニ・ヘンリーMKI 小銃が製造されます。 イギリスとしては初となる完全な金属製薬莢を用いるこの銃は、その後幾度にも渡る小改良が繰り返され、1886年より最終型となるマルティニ・ヘンリーMKIV 小銃が開発されました。
ズールー戦争、第一次ボーア戦争など投入されたそれまでマルティニ・ヘンリーの経験から、レバーの延長、セーフティの追加、トリガー・アッセンブリーの変更などが行われ、マルティニ・ヘンリーの完成系とも言えます。
(在庫品のマルティニ・ヘンリー M1887 MKIV 歩兵銃 (#無)です。 ストライカーと連動したためレバー・アクションが重くなり、大きいトルクを得るためにレバーが長くなっています。)
しかしながら列強の兵器開発競争は激しく、日進月歩で進歩する技術のなかでは徐々にマルティニ・ヘンリーは遅れを取るようになっていました。
後編では、更に改良されたマルティニ・アクションの銃についてご紹介します。
>>マルティニ・ヘンリー M1887 MKIV 小銃はこちら
記事内に一部年号の誤りがございましたので修正させて頂いております。 10月3日修正
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