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国内唯一の無可動実銃と古式銃の専門店。
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2019.01.08 Tuesday

4.5 cm PaK 184(r) 対戦車砲の戦歴 番外編 占守島の戦い

皆様こんばんは。 ニュースを見ると川崎のP-1哨戒機が大活躍(?)ですね〜タミヤさんあたりがプラモにしてくれないかな〜未だ正月ボケ〜ナベです。


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長々と続いておりましたソ連の45mm対戦車砲ブログも本日で最終回!(ハァ〜長かった〜)皆様お付き合い頂き誠にありがとうございます(当初は前後編程度で終わらせる予定だったのですが、魅力的な品ですのでついつい・・・)。

 

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本日は最終回の番外編で、終戦後1945年8月17日の占守島の戦いでございます。 写真は輓馬に牽引され川か池を爆走する45mm対戦車砲と弾薬車?となんか若干楽しそう?なソ連の対戦車砲兵。

 

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今回の日本軍戦車部隊VSソ連軍45mm対戦車砲の因縁のラストバトル (たぶん)の舞台は千島列島の最先端に位置する占守島(シュムシュトウ)でございます。 荒涼とした北辺の端っこの小島ですが大戦中、アメリカ軍がアリューシャン列島伝いに侵攻してくる場合に備え第五方面軍(司令部は札幌)所属の第91師団や戦車第11連隊、海軍警備部隊(他に陸軍の隼戦闘機4機、海軍の九七式艦上攻撃機4機)など約8,500人の兵員を配備して防御を固めていました。

 

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しかしポツダム宣言受諾後の8月18日午前2時ごろソ連海軍歩兵が砲撃爆撃の援護下、占守島竹田浜へ上陸を開始します。 因みにソ連軍の上陸兵力は日本軍とほぼ同数の約8,800人でした(海軍兵力は除く、航空機は78機)。 上の絵はPPSh41短機関銃を片手に占守島へ上陸するソ連海軍歩兵、日本軍は降伏直後なので戦意喪失しているから楽々占領できる〜と高をくくっていたそうです・・・。

 

PPSh41短機関銃はこちら

 

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日本側もポツダム宣言も受諾したし15日に戦争も終わったみたいだし武器弾薬も処分して故郷に帰ろうか〜という気だったので突然のソ連軍上陸に驚きます、が第五方面軍司令官樋口季一郎中将の「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」の指令に基づきすぐさま反撃を開始します。 写真は占守島に駐屯していた戦車第11連隊連隊長池田末男大佐(学徒出身の見習士官に「学生まで動員せねばならぬほど戦火を拡大してしまった日本軍部の上層部は間違っている」と言ったり、若い戦車将校だった司馬遼太郎に影響を与えたり、贅沢に無縁だったり、洗物は自分で洗濯して当番兵を困らせたりと部下からの信望は厚かった方だったようです)。

 

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池田大佐の戦車第11連隊には長砲身47mm砲搭載の九七式中戦車改20輌、57mm砲搭載の九七式中戦車19輌、九五式軽戦車25輌 が配備されていました(但しその内の何輌かは武装を取り外していたりしたため戦いに加われなかったようです)。 写真は11連隊所属の九七式中戦車改、砲塔の横に11を図案化した士のマークが見えます。 フェインダー上の丸太はスタックした際の脱出用。

 

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18日午前5時ごろ島の中央部へ進出を開始したソ連軍に対し、真っ白なシャツに鉢巻姿の池田大佐は部下たちに「赤穂浪士たらんとするとするものは一歩前に出よ。白虎隊たらんとするものは手を上げよ。」と訓示して戦車第11連隊は突撃を開始します(戦争は終っているけど敵が攻撃してきた場合の対応って難しいだろうな〜)。 その時までにソ連軍は対戦車ライフル約100挺(写真などで見る限り占守島ではPTRSではなくPTRDが多かったようです。)と・・・。

 

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4門の45mm対戦車砲を陸揚げを完了しており戦車11連隊との激戦を繰り広げることとなります。 当時戦場は濃い霧がかかっていたそうでソ連兵が手榴弾片手に戦車に飛び乗り日本戦車兵が拳銃で応戦するような至近距離での乱戦だったようです。

 

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その戦闘の結果、戦車第11連隊は池田大佐ら96名が戦死して戦車27輌を失うものの歩兵部隊や高射砲の援護を受けソ連軍を竹田浜へ押し戻すのに成功します。 日本軍重砲部隊や陸海軍8機(海軍機は特攻によりソ連軍掃海艇を撃沈)の活躍もありソ連軍を海へ追い落し撃滅できる日本軍優勢の状況となりましたが21日に停戦となりました。

撃破された日本軍戦車27輌の内、結構な数が炎上しているようなので対戦車ライフルより威力のある45mm対戦車砲が相当数の日本軍戦車を討ち取ったものと思われます。

 

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政府機関誌イズベスチヤは「8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」と紙面に記しました。 占守島においての両軍の損害はソ連側情報によると日本軍死傷者1000名、ソ連軍死傷者1567名とあるそうですが実際は日本軍死傷者600名、ソ連軍死傷者3000名との話もあるそうです。 写真は停戦後?擱座した九五式軽戦車の前で記念撮影をするソ連海軍歩兵。

 

戦争終了後の全く無益な戦い・・・とも思えますが占守島における日本軍の激しい抵抗にあったソ連軍は北海道北東部(釧路-留萌より北部)の占領を断念せざるをえなくなりました(占守島の部隊が頑張ってなければ今頃北方領土どころの話じゃなかったかも・・・)。 写真は占守島で8月18日の状態で動きを止めた九七式中戦車改、朽ちゆく兵器と自然一杯の草原って語弊があるかもしれませんが得もいえぬ絵画的美しさがありますね・・・(最近どうやらロシアがその占守島から日本軍戦車を持ち出して修復後、樺太などの博物館に展示しているようですが・・・何か妙に腹が立つ・・)。

 

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ナベが知っている範囲では45mm対戦車砲が活躍したのは1945年の対日戦までのようですが、改良型のM-42 45mm対戦車砲が1950年の朝鮮戦争でも使われているので、ひょっとしてひょっとすると19-K 45mm対戦車砲もソ連から供与されて北朝鮮軍か中国人民志願軍が対国連軍に向けに使ったかも知れませんね。 写真は国連軍に捕獲されたマキシム重機関銃と長砲身のM-42 45mm対戦車砲、マキシムがカワイク見えます・・・。

 

日本とも因縁浅からぬ4.5 cm PaK 184(r) 対戦車砲はこちら

 

カワイイ(?)マキシム M1910 重機関銃はこちら

 

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