GREAT WAR ENDS!後編
皆様、お元気ですかこんばんはナベです。 本日は前々回に引き続きWW1終結記念(?)ブログの後編!フランツ・ヨーゼフ1世、ジョージ5世、ポアンカレ大統領、ペータル1世の4人(枚?)を取り上げましたので残り4人(枚?)でございます。
後編トップバッターは叉銃用のフックがチャームポイント(個人的に)1915年製のKar.98a 小銃とお髭がチャームポイントのカイザーヴィルヘルム2世です。 写っていますKar.98a騎兵銃はドイツ帝国軍主力小銃Gew.98歩兵銃を騎兵用に短縮化したもので、この個体はドイツ帝国、ヴァイマル共和国軍で使われた歴史的な1挺でございます(ほ、欲しい・・・つい心の声が)
国内に数挺、その上シリアルがマッチしたモーゼル Kar.98a 小銃 (初期型、#6487)はこちら
・・・ところでドイツ皇帝ヴィルヘルム2世・・・残念ながらあまり良い評判を聞きません。 実のお母さんから「謙虚さ、善意、配慮が欠けていて高慢で利己的で冷酷」とまで言われてしまいます、また皇帝による独裁を望んだため宰相ビスマルクはクビにして回りはイエスマンで固め(一番アカンパターン・・・)後は一気に世界大戦へ一直線! 皇帝としては上の風刺画(上から2番目くらいに日本らしき人物がいますね)のようにオーストリアと組んで颯爽と連合国を蹴散らす予定でしたが・・・
結果は誰も想像していなかったWeltkrieg(世界大戦)に突入、ドイツは世界を相手に敢闘するものの敗北し1918年フランスのコンピエーニュの森に設置された客車アルテミス号にて降伏調印(背を向け紺色のコートを着た人物はドイツ全権マティアス・エルツベルガー無任所大臣、正面向いて赤いケピ帽を被った人物が連合国全権フェルディナン・フォッシュ元帥)をすることとなってしまいました。 当然ドイツ帝国は崩壊、皇帝はオランダへ亡命しナチスドイツがソビエトに侵攻した1941年6月に没します(故国の絶頂期に亡くなっただけ幸せ?)。 皇帝が余生を過ごしたオランダのドールン城ブログ(社長作成)はこちら
お次は東部戦線でドイツやオーストリアと交戦したロシア帝国のニコライ2世とちょっと古いですがベルダン M1870 歩兵銃 II型 です(この頃はさすがにモシンナガンが主力で、もしベルダンを使っていたとしても後方部隊向けだろうな・・・)。 ベルダンM1870は約300万挺も作られた大変に信頼性の高い小銃で、露土戦争や日露戦争でも使われWW1ではセルビア軍やモンテネグロ軍(マニアック!)でも使われました。
ヒグマも倒せるベルダン M1870 歩兵銃 II型はこちら
WW1においてロシア軍はセルビアがオーストリアと交戦状態となりスラブ人同士ということもあって威嚇のつもりでオーストリアに宣戦を布告(本当はオーストリアよりトルコを叩きたかった)、しかし結果各国の宣戦布告ドミノとなってしまいました。 ロシアはオーストリアと同盟を結んでいるドイツと東部戦線で激突、1914年のタンネンベルクの戦いではヒンデンブルグ大将率いる15万のドイツ軍に40万を超えるロシア軍が大敗するもののドイツは西部戦線に兵力を割かれ東部戦線は膠着状態となります。
1916年にはロシア軍は連合国(日本も含む)の軍事援助を受けブルシーロフ攻勢を行い60万のオーストリア軍に大損害(ただしロシア軍も100万の兵を損失)を与えるなど局地的に勝利を収めるものの、長引く戦争に国民の生活は窮乏それに革命運動が結びついて1917年に二月革命が勃発しロマノフ王朝も終焉を迎えます。 温和で家族思いだけど政治的な能力はなかったロマノフ2世はその後革命軍に処刑されてしまいました(WW1の各国皇帝の中で最も悲惨な最期・・・)。
ロシア兵捕虜を監視するドイツ兵が持っている銃はGew.88?
ベルダン小銃との対決もあったのでしょうか?Gew.88歩兵銃はこちら
あとお二方!WW1当時のベルギー国王アルベール1世とベルギー製FN モーゼル M1924 短小銃・・・ベルギーはWW1時にM1924と同じ系列のM1889小銃(M1924のお父さん?)を装備してドイツ軍と戦いました。 元々M1889小銃を開発したのはドイツのモーゼル社でベルギーはそのライセンス権を取得、1889年にベルギーに生産のための国営工場を設立しました(これが現在のFN社)。 先代のレオポルド2世はコンゴ問題などで国民からの評判は散々、次の国王レオポルド3世はWW2の対応で微妙な評価でしたがアルベール1世は家庭的な人柄やWW1の際の断固たる対応で今日でもベルギー国民から尊敬の対象だそうです。
WW1当時ベルギーはドイツの戦争計画「シュリーフェンプラン」(ドイツが仏露と戦争となった場合、急いでフランスを叩いて返す刀でロシアを叩くという短期決戦作戦)の重要地点でドイツはフランスへの進撃路としてベルギーに領内通過を求めましたがアルベール1世は「ベルギーは道ではない!国だ!」と断固拒否。 ベルギーも大戦に巻き込まれることとなります。 ソーセージをぶら下げた大男のドイツに脅されるも、勇気を出してとうせんぼするベルギーの風刺画、柵に描いてある「NO THOROUGHFARE」とは通行禁止の意味。
開戦時ベルギーはリエージュやナミュールなどの要塞を拠点に野戦軍15万、要塞守備軍13万、補充兵6万の計34万人の動員を行いましたが強大なドイツ軍には苦戦し国土の過半を占領されてしまいました。 しかし12万の戦没者を出すも粘り強く戦い(連合国の無茶な攻勢要求は拒否)1918年勝利を収めました。 写真は1918年、ショーシャ軽機関銃を構える西部戦線のベルギー兵。
最後は我が国日本!大正天皇と日本軍の象徴三八式歩兵銃!三八式は日露戦争が終わった明治38年(1905年)に仮採用となり1910年頃には三十年歩兵銃と代替は完了したようです。 その三八式が初めて大規模な戦いに投入されたのがWW1でした。 それにしましても大元帥陛下大正天皇・・・不敬ですが何か大正天皇って癒しの雰囲気をお持ちですね〜。
三八式歩兵銃はこちら
日本は先日のブログで書きました通り、青島要塞攻略戦や護衛艦隊の地中海派遣などの割と小規模な派兵で済んだ上、領土獲得、特需景気もあり国際的な地位も向上しました。 またドイツ兵の捕虜から教えてもらった文化的技術的な事柄も戦後の日本に大きな影響を与えました。 写真は日本の捕虜収容所で音楽会を催すドイツ兵(それにしても日本はこの頃は捕虜に対する人道的な扱いを賞賛されたのに20年後どうしてああなったんだろう・・・。) 前編後編と長々とお付き合いありがとうございました、それでは〜。
本日のツーポイント情報!!
*12月1日(土)〜12月2日(日)開催のショットショージャパンスペシャルに弊社「シカゴレジメンタルス」並びにシカゴ社長の個人的なお店「宮崎商店」も出店いたします。
ショットショージャパンスペシャル
サンボール地下1階会場
(大阪市中央区西心斎橋2-9-28)
ショットショージャパンスペシャルの公式HPはこちら
開催時間
12月1日〜12月2日 10:00〜17:00
シカゴレジメンタルスブースでは、シカゴレジメンタルスならではの無可動実銃を約20挺、展示・販売しますので、是非お立ち寄り下さい。
宮崎商店ブースでは、シカゴの店舗では通常は販売しないトイガン(合法エアガン、合法モデルガン)、軍装品などです。これらは無可動実銃買取りの際に「処分」を依頼された品ですので、マーケット・プライスを無視した価格設定でご好評をいただいております。
上記の取扱品の他に、合法無可動拳銃 も即売致します。
合法無可動拳銃は全て、シカゴ社長自身が合法加工状態である事を確認した上で販売いたします。販売にあたっては加工部分を撮影した一丁につき4枚のカラー画像入り書類をお付けします。 その書類には販売した際の加工状態を明確にしてあります。お買い上げの際はこの書類に加工確認の為のご署名をお願いします。 また身分証明書の提示(コピーさせて頂きます)もお願いします。
シカゴレジメンタルス と 個人ブース 宮崎商店 に是非お立ち寄りください。
* 下取りで、下記の無可動実銃コレクション2挺が東京店に入荷しました。 HPとDetailed Photos(詳細画像)は本日アップしました。 ぜひHPをご覧ください。
・ PPSh41 短機関銃 (後期型) ( 16万円、税別 ) はこちら
・ UZI 短機関銃 木製ストック付 ( 20万円、税別、お客様ご連絡中 ) はこちら